今日は知り合いの博士論文公開審査会でしたが、とても感動したのでここに書き留めたいと思います。
本当にきれいな発表で心が震え、博士論文とはこうあるべきなのだと思いました。
彼の専攻は医学系で、詳しい研究内容はあまりわかっていませんでした。
なので、発表を聞くまでは漠然と発表を聞きに行っただけで、最初はあまり身が入っていませんでした。
発表が始まりイントロで現象の説明や先行研究の紹介がされると、彼が行ってきた研究の説明に入りましたが、やはり専門知識がほとんどないので最初は言ってることが分からんなあと思っていました。
しかし、順々に結果の説明を聞いていくと、専門は違えど分子メカニズムを研究しているので、用語に慣れると何を明らかにしたいかが分かってきたのです。
あぁ、この実験でこれを明らかにして、この実験で相補して…と、一気にパズルのピースが組み合わさっていくような感覚を覚えました。
それと同時に、彼が現象の一端ではなく、一連の経路を明らかにしたことが伝わってきました。
それは一つの論文を読むだけでは味わえない充足感で、これが博士論文なのだと心が震えたのでした。
例えば一つの論文では、現象における一つの因子の役割を明らかにしたという報告で、十分論文たる価値があると思います。
もちろん時代によって、その証明の手順の多さは変わるので、一言で役割を明らかにしたと言ってもデータの量は異なりますし、すべての論文が一つの要因だけを明らかにして発表しているわけではありません。
ですが、そういった細かい一つ一つの積み重ねが科学としての集合知を形成しているのだと思います(publish or perish)。
その細かい積み重ねを論理的に組み立て、一連の経路を証明していく。
一つの論文に収まりきらない厚みがある。
これが博士論文なのだと、その美しさを目の当たりにしました。
過去にも研究室の先輩の博士論文審査会を見たことはありますが、初めて心からその凄さを感じられたのには、知らないところから一気に理解するところまで駆け上がったからのと、自分が博士課程に身を置いているからだと思います。
たった20分間の発表でしたが、彼の3年間が詰まった内容でした。
話をまとめるために切った部分もあったと思います。表に出てきていない部分にも思いを馳せ、その凄さを目の当たりにしたのでした。
そして、自分もここまでやらないといけないなと再度気が引き締まった、そんな発表でした。
とてもカッコよかったです。