みなさん、こんにちは!
悩める理系男子です!
前回は、大学院博士課程への進学と親の反応 Part1と表して、大学院博士課程とは何かについて書きました。
前回の記事はこちら→大学院博士課程への進学と親の反応 Part1
今回は、悩める理系男子こと私が博士課程への進学を決めるまで、そして、親との対決について書きます!
博士課程への進学を決めるまで
1. 中学校の同級生は知っていた!?
中学校の頃の私は、いわゆるなんでなんで少年でした。
授業でこうと教わったら、すぐなんで!?
なんで分子に手があるの?なんで、酸素は手が二つなのに水素は一つなの??
なんでアイランド islandはsが入ってるのにイズランドじゃないの?(こればかりは聞かれた先生もかわいそう)
授業でよく質問ばかりする僕を見て、友人は、博士になるんだろうな〜と思ったらしいです。
そんな私は高専に進学し、バイオテクノロジーについて学びます。
1年生の頃は、早く卒業して、社会の歯車になりたい!と思っていました。
ですが、勉強していくにつれ、これは僕が勉強したいこととは違うなと違和感を覚え始めます。
その違和感は、4年生の頃には決定的になり、大学への三年次編入学を決めました。
じゃあ、何が勉強したいのかなと思った時に思い返すと、自然や農業が好きだと再認識しました。(これは日本テレビの鉄腕ダッシュの影響が大変大きいと思います)
じゃあ、農業だったら何が勉強したいのか。
当時は、野菜を作ることしか考えてなかったので、なにか野菜の研究したいと考えていました。
その時に、一つの論文に出会い、トマトの研究をしたい!と思うようになりました。
また機会があれば、こちらの論文 Chao MW et al., 2012α-Tomatine-Mediated Anti-Cancer Activity In Vitro and In Vivo through Cell Cycle- and Caspase-Independent Pathways PLOS One 7(9): e44093 (https://doi.org/10.1371/journal.pone.0044093)を紹介したいと思います。
実際に、高専での卒業研究はあまり好きではないことをやっていたので、一回の挫折で相当辛いものになってしまいました。
2. 大学での研究
大学に三年次編入学し、結果的に自分が予想していたものは違う内容の研究を始めましたが、ここで好きな植物の研究をして、もし辛ければ、研究は向いてないんだろうなと思いやってみましたが…
正直、三年生の後期はめちゃくちゃ辛かったです(笑)
インターンや課外活動、編入したため必要な授業の単位回収、そして研究。
あの頃の自分はめちゃくちゃ疲れていました。
研究は、何回やってもうまくいかないし、植物を育てるのを忘れるくらいに余裕がなかったです。
でも、実験を始めて、5ヶ月ほど、全然成功しなかったのに、研究自体は苦しくなかった。
それが、とても不思議でした。
なぜ苦しくなかったのかは本当にわからないのですが、植物を扱うことが自分にとってストレスにならないのだと思います。
もしかしたら、この分野なら研究しても楽しいかもしれないと思い、博士課程への進学を考え始めました。
3. 初めての学会参加
大きい学会では、ホールのようなところで、研究発表を聞き、質問も数分でなかなか議論ができないことが多いです。
ですが、初めて参加した学会は参加者も100人くらいで、ポスター発表1時間。さらにポスターディスカッション1時間。夜は夕飯後に朝方までお酒を飲みながら、研究の話で盛り上がり…とめちゃくちゃ濃密な会でした。
体力的にはめちゃくちゃきつかったのですが、当時の私には刺激的で、普段聞けないような研究を詳しく教えてもらえたり、研究内容についての疑問をぶつけ合ったりと楽しかったです。
こんな楽しく研究の話ができるなんて最高じゃないか!!と思い、これが博士課程進学のきっかけと言っても過言ではありません。
ちなみに、このときに、学会に参加してる大学院生から研究そんなに楽しくない…って話を聞いて、衝撃を受けました。学会に来るような学生でも研究好きじゃないだ!ってびっくりしたのもその時です。
そうこうして、博士課程への進学を決めたのですが、学費は自分ではまかなえず、親に払ってもらっています。
なので、パトロンである親を説得するイベントが発生するわけです。
親との対決
ちなみに父親は公務員。母親は銀行員からの寿退社で、専業主婦。しかも、バブルで辞めたのでウハウハの時代の人です。
前回の記事で、博士課程に行く上で結構なデメリットがあげられましたが、そんな情報ネットですぐに見つけられます。
前回の記事はこちら→大学院博士課程への進学と親の反応 Part1
これまでは、やりたいことをやりなさいと言ってきた母親もこの時だけは難色を示しました。(ちなみに父親は特に何も言いませんでした。)
あんた、そのあと仕事あんの??
修士卒業して大企業行った方が安定だし、福利厚生もしっかりしているじゃない。
最低でも27歳でいつ結婚すんの??
めちゃくちゃ刺さります。文字に起こすと余計に来るものがありますね。
ついでに、当時付き合ってた彼女には、「私との未来より自分をとるのね」みたいなことを言われました。
めっちゃ責められるやん…
そこで、僕はどうしたかをまとめるとこんな感じです!
1. 修士課程からは、学費以外は基本的に全て自分でまかなうと約束した。
今までは、奨学金を借りれなかったのですが、修士課程からは自分の収入で借りれるようになります。
なので、少しでも自立するために奨学金を借りることにしました。
未来の自分から前借りというやつですね。
ちなみに、給付型のやつは落ちました。一つは、理事長の名前を入れてなかったのがダメだったみたいな感じです。やってしまった。
2. 今、やってることが好き!
やっぱりここが重要だと思います。
親に対して、もう僕は覚悟を決めました。何を言われても変えません。という宣言をしました。
何を言われても、絶対進学する。としか答えませんでした。
社会人なってからでも取れるんじゃない??→いや、確証はないから今のうちに取りたい。そこから、研究で生きていくのか、会社に行くのか決める。
もう意地ですね(笑)
その代わり、毎回、学会のあとには、どんな内容で発表したのか説明させられるようになりましたが…
まあ、出資してもらってるので、これは義務だと思い、諦めました(笑)
このあとも、海外の大学院に行きたい!→海外の学会に参加する→心が折れる
というエピソードもありますけど、それはまた時間がある時に!
追記→こちらにあげました!国際学会で爆死して学んだこと。英語能力を鍛え、参加者を徹底的リサーチせよ!
結局のところ、勉強することが好きだという、一般の人からすると理解できない特性を持ってるので、それを活かしたことがしたく、今見えてるのが博士課程だったんですね。
今回も最後まで、ありがとうございました!